こんにちは。
広末涼子さんの元夫で、キャンドル・アーティストのキャンドル・ジュンさんは、いったいなぜ、英才教育を受けて、弾き続けていたバイオリンを中学校卒業とともにを辞めて、キャンドルを選んだのでしょうか。
その驚くべき原因が、彼の壮絶な生い立ちと東京に出てきてからの「引き算瞑想」にありました。
キャンドル・ジュンさんについて
引用元: instagram.com
プロフィール
本名 廣末順 (廣末は、広末涼子さんの本名)
生年月日 1974年1月20日
出身地 長野県松本市
学歴 松商学園高等学校卒
職業
アーティスト
「LOVE FOR NIPPON」の代表
「日本キャンドル協会」の専務理事
ELDNACSのオーナー
家族
妻 女優、広末涼子
父 バイオリン製作者、井筒信一
兄 バイオリン製作者、井筒功
中学生まで弾いていたバイオリン
引用元: instagram.com
キャンドル・ジュンさんは、小さい時工房で遊ぶのが好きだったので、子羽学生の頃には、将来バイオリン作りをしたいって、はっきり両親に言ったのだそうです。
すると、
「(だったら)弾けないとダメだから」
と言われ、バイオリンを習わされたのだそうです。
ある程は弾けけないと
自分で音を試せないかな…
で、松本市に住んでいたのに、松本から、月に2回、東京の田園調布の偉い先生のところにバイオリンのレッスンに通っていたのだそうです。
そんな、偉い先生だったら、多分才能があると認めた子供でなければ、自分の門下に入れないし、上達が遅ければ、「もう来なくていいと言うので」、小中学校9年間、その先生のところに通っていたということは、相当才能も実力もあったということになります。
東京のバイオリンの先生のところにレッスンに行く日は、学校を早退しなければならず、練習も、一日3時間はしていたのだそうです。
世紀末思想から食に関係する職業を希望
引用元: instagram.com
そうこうするうちに、中学行かないでバイオリンを作る方に行きたいって、もう一度、はっきり親に言ったのだそうです。
でも、なまじ、バイオリンが美味かったのでしょう。その頃には
「弾く方で有名になって売って欲しい」
というファミリービジネス的なストーリーが、父親の中で、でき上がっていたそいうで
「バイオリン工房の息子が有名バイオリニストに」
または、
バイオリンの先生になって、セールスを!
と期待されてしまっていたそうです。父親が
「自分の子供たちは、自分の(もの)」
みたいな人だったので、それに対して兄たちが反抗するのもわかるなと思ったけど、上が反抗してるの見てきているので、あからさまに反抗することもできず、中学校は終わりました。
その頃、世紀末が近づいていて、ノストラダムスの大予言のような、思想にはまっていたので、これからの時代は、衣食住にもっと根付いた職業の方ががいいんじゃないかと思っていて
農業や料理系の職業訓練もできる高校を希望していたのですが、両親は、不良のたくさんいる職業訓練系の高校に反対でした。
そこで、バスケットボール部で活躍していたため、スポーツ推薦で私立の高校に行っていいことになり、バイオリンは辞めていいことになりました。
高卒で東京へ・夜のお仕事
引用元: instagram.com
そして、キャンドル・ジュンさんは、とにかく家から出たかったので、高校卒業してから、お金を貯めて東京に出てきて、まず飲食業で働き始めたのですが、漠然と
「モノを作りたい」
というのはずっとあったのだそうです。
でも、音楽家にもなりたかったけど、ギターのコードを覚えるのに大変だったし、、大体、ミュージシャンの競争率が高いので、競争からは脱したくて、常に、
誰もやっていないことをしたい
とは思っていたのだそうです。
「引き算瞑想」を始める
そして、ある日、飲食店の休みが多く取れる時とかに、
「自分探し」の意味を自分の中で探し始めた
のでした。
なぜ、大人は毎週日曜日に教会に懺悔しに行くんだろう。懺悔するようなことをしなければ、教会に行く必要はないではないか
と、大人が当たり前のようにやっている矛盾や無駄な行動を、取り除きたくて、
自己流でスピリチュアルのようなことをやり始め、瞑想をするようになります。
自分で、どうやろうかと考えたときに、引き算していこうと思って、
引き算生活 = 食べない、寝ない
眠いから寝るんじゃなくて、眠くても自分のことを考える。
という修行みたいな感じを、自分のアパートでやっていたのだそうです。
なんか、どこかに入って修行するってなると、
「どこかで学びました」
ってなっちゃうから嫌で、
とにかくオリジナルでいたい
っていう意識が強かったのだそうです。
だから、全部、自分なりのやり方で貫こうと思って、
衣食住を取り除く
という引き算瞑想になったということです。
引き算でロウソク残る
引用元: instagram.com
で、全部、引き算していったら、最後に
ロウソク灯す
だけが残ったになったのだそうです。
その頃は生きる意味を探していたのですが、
「そもそも生きる前提の考えをやめよう」
と思った時もあったのだそう。
じゃあ、どうやって家族に悲しまれないように、この世から去れるかということも、考えたことがあったけど、衣食住を絶って、3日目に、無意識に、スーパーにお弁当を買いに行っていたのだそうです。
そしたら、その時のレジのおばちゃんに、
「ありがとうございました」
って言われて、なんとそれが、
「生きることを選択してくれてありがとう」
って聞こえたのだそうです。
まあ、結局自分は強烈な負けず嫌いだったから「自分は違うぞ」って思いたかったけど、その「食べない、飲まない、眠らない」というルールの食べるっている欲求に負けている自分がいて、その負けている自分に対して、他人がありがとうと言ってくれてるのが、悟った瞬間
引用元. youtube.com
と後で語っています。
ビジネスとして生計がたつ
引用元: instagram.com
とにかくキャンドル灯して、
「やるべき事はなんぞ」
と瞑想していた時に、お金もなかったので、ロウソクのかけらを溶かして、またロウソクを作るってことをしてたのが、そもそものロウソク作りの始まりだそうです。
ろうそくって、寿命に例えたりっていう落語の話とかあったり、命の長さに例えたりする話があるので、自分で自分の命を作ってたんだって、その時思ったのだそうです。
その、自己流で、溶かして作っていたロウソクを、家に来た友人が見て、買って行きたいって言って、セールスが高まっていって、いつしか、自分の家に、人がたくさん来るようになり
だったら、と思って、外に店を構えるとこにしたのだそうです。
おわりに
引用元: instagram.com
バイオリンと、ロウソクでは、ジャンルが全く違うように思えるかもしれません。
でも、「ものを作る」「瞑想する」という点ではどこか似ていますね。
バイオリン製造者になる道は途絶えてしまったけど、その代わり、キャンドル・ジュンさんは、ゆっくりと、時間をかけて、自分の道を見つけることができたのですね!
キャンドル・ジュンさんの現在のお仕事については、こちらをどうぞ⇓
キャンドル・ジュンさんのシャーマングッズについては、こちらをどうぞ⇓